心に映る出来事がすべてモノトーンにしか見えなくなってつらい日々が続き、閉店してしまった「カフェ・ド・ラフィット」。
いつか再開しますね・・・と言いつつもうどれだけの月日が過ぎたことでしょう。その間、ドメインを取り「いつかできるといいな」と思っていたホームページを頭に描きながら、大好きな清里のことを書こうと新しいカフェを始めました。
八ヶ岳や清里大好きな仲間との交流などもご紹介できればと思っています。

                                 清里カフェ・店主 むっしゅ☆☆☆






 2006.2.5 (日)

雪のない冬
この冬いちばんの寒さを感じる朝。
 2006.2.4 (土)

開店のお知らせ
大々的には恥ずかしいのでひっそりと開店します。(笑い)
ひょっとして再開することを期待されていた方もいらっしゃるとか?まぁそういう奇特な方はあり得ないとは思いますが、年齢的にもばりばりとがんばるのは無理なので、ひょうひょうと自然体でやっていきます。いつまで続くかわかりませんが、ご声援よろしくお願い致します。








 2005.3.31 (木)

「カフェ・ド・ラフィット」閉店のお知らせ

本当に残念ですが更新も滞り、楽しみにして頂いた皆さんの期待に応えることが出来なくなりました。

昨年の初めから毎日、いったい何通のメールを書いたことでしょう。
多くのひととこころをつないでいると自負していたことが、実はいちばん肝心なところで信頼されていなかったという事実。
「なんで相談なんかしなきゃいけないんですか?」
この一言ですべてが終わりました。
誰かが「ボタンの掛け違え」と言っていたけれど、それ以前の問題だったのです。
「日本一のワインを造ろう!」その想いで畑に集まる仲間はつながっていると信じていました。

でも、とても悲しいことですが、それは夢で終わってしまいました。
ぼくの中でなにかがこわれてしまったようです。5年間畑でいろんなことがありました。
たくさんの出会いがあり、得がたいものもありました。でも、失ったものも大きかった。

しばらくは何も考えないでのんびり過ごします。
いつかまた、何らかの形で復活することもあるかもしれません。
その時までお元気で・・・・・・









 2003.9.20 

「幸せな出会い・悲しい別れ」

若い頃、いつか食べたいと思っていたあこがれの鮨の名店に行けたのはもう20年も前のことでした。なかなか休みが取れなかったその頃、アメリカからやって来た歌手のコンサートが武道館で行われ偶然にもその店は近い。喜び勇んで出かけたものの、盛り上がったコンサートの終了は9時過ぎ。急いで店に向かってやっと到着。暖簾をくぐったとたんに、「ウチは10時までだよ」とのお言葉。(^^;

一瞬息をのみながらも「遠くから来ているので長居はしませんから」とお願いすることにしてカウンターへ。「さぁ、じゃどうぞ」という親方の言葉に次々と注文を出して握ってもらうことに、ところが敵もさるもの。しっかりどういう客か?と探りを入れ始める。偶然来たのかあるいは?酒を飲みたいのか鮨を食べたいのか?当然こちらもここに来た熱意を伝えることに。そうしてようやく客と親方の気持ちがつながった。そうなれば目の前に出てくる鮨も一段と美味しい。いやその前に、最初の1つ目を握ってもらってツケ台に置かれた鮨を見て絶句!これほど美しい姿の鮨を見たのは初めてでした。一口で食べられる小振りの鮨は、口の中ではらはらと崩れのどを墜ちていきます。もう至福のひとときです。生まれて初めて本物の鮨を食べたと思いました。

それからは東京に行くたびに神保町にあるその鮨屋に通いました。魚に旬があるように職人にも旬があります。師岡親方はまさに脂ののりきった旬の職人でした。それから数年後親方は「引退」を口にするようになってきました。頂点を走っている人間にいつかは来る引退の時。とうとう親方は引退してしまい、もうあの素晴らしい鮨を二度と口にすることはできなくなりました。もう一度だけ食べたいと思うのは未練でしょうか?とても残念です。

こうしてみると人生は「一期一会」もう二度とこういう幸せな出会いはないでしょう。それだけに別れは悲しい。師岡親方には鮨のことだけではなく、人と人との付き合いの仕方まで教えていただきました。粋で頑固でまさに江戸っ子そのものの親方でした。おっと!故人をしのぶような書き方をしてしまいましたが親方はまだご健在です。「ばかやろう!俺はまだ生きてるよ!」という声が聞こえてきそうです。(爆)


なお、親方の著書が2冊草思社から出ています。
「神田鶴八鮨ばなし」「神田鶴八ちょっと小粋な鮨ばなし」
 2003.2.2 

「桜餅」

2月になりました。やがて桜餅の季節がやってきます。桜餅には2種類あって、東京・向島の長命寺で作られたという薄く生地をのばした「長命寺」、大阪・藤井寺の道明寺で作られたという”もち米を水に浸して蒸した後、乾燥させて粉砕した粉”を使って作った「道明寺」があります。当然ながら長命寺は東日本で、道明寺は西日本でそれぞれ発祥の地を中心に広まっていったようです。

ぼくは西で生まれ育っていますので、「桜餅イコール道明寺」という認識で、長命寺では桜餅という実感に乏しく、いまひとつ満足感を得られません。やはり桜餅は道明寺じゃなきゃね。あのつぶつぶの餅米が餡と桜の葉と三位一体になってもたらしてくれるのが至福の時。(笑い)桜餅を口にする時は”和菓子大好き!だった父”のDNAを受け継いでいると実感する瞬間です。

さて、その「桜餅」にはほろ苦い想い出があります。落ちこぼれだったぼくも小学校6年のこの時期は中学受験を目前にしていました。学年2クラスしかない小さな学校のほとんどの生徒が中学を受験します。周辺の小学校ならクラスで1番か2番でなければ入れないので、受験者全員を合格させようと行われていた毎日の補習。苦手だった算数でも特に悩まされたのは「流水算」「鶴亀算」「旅人算」で、今考えるだけでも頭が痛くなりそうです(笑い)

あの当時は”できたものから帰ってよし!”という担任の声が鬼のように聞こえたものです。算数は苦手だったので、帰る順番は当然(!?)遅くなります。めずらしく偶然に答えを思い出しても”どうやって解いた?”との質問には答えられません。そうなれば”思い出すまで・・・”とのありがたいお沙汰でさらに居残り決定。12歳の食べ盛りではお昼の給食から夕方まで持つわけがありません。補習前に牛乳が1本配られ、これ用に給食のコッペパン(!!)を半分残してありましたが、それでも足りません。おなかがすいてつらいので、毎晩必死で答えを考えていました。

ようやく答えを出してOKをもらうと、外はもう真っ暗。待っていてくれたY君やK君と正門を出て塀沿いに歩く帰り道、裏門の前に駄菓子屋がありました。白熱電球の灯った店先のガラスケースの中から、美味しそうな「桜餅」が呼んでいる。(爆)そんな誘惑に少年達が勝てる道理もなく、お小遣いを出してみんなで1個ずつほおばった「道明寺」。

この季節に「桜餅」を食べると、遅くなって真っ暗な帰り道をとぼとぼ歩きながら食べた「道明寺」がわびしく思い出されてくるのです。なんだか暗い12歳の春でした。
 2002.7.15 

「さぬきうどん」

毎年開いている大学時代の同期会が、ひょんなことから今年は「さぬきうどんツァー」にしようということになりました。学生時代の後輩がGWに毎年、さぬき在住のM君を訪ねてうどんを食べ歩いているので必然的にM君もツァコンとしての腕を上げてるという噂。(笑い)

2ヶ月前の4月には一斉売り出しになる「ウルトラ超割」なる格安チケットを求めて、固定電話とケイタイを使いまるでコンサートチケット争奪戦のようにして開始2時間後にようやくゲット!(^^;こうして航空券は手に入れましたが宿は???ここで現地駐在員のM君が奮闘し1泊目の温泉宿と2泊目のビジネスホテル&宴会場を探してくれました。最後は大カラオケ大会でした。(爆)青春時代を共に過ごしたサークルの仲間とは必要以上に気を遣うこともなく楽しく過ごせます。

さて、高松空港着は朝9時55分。同行のK女史と到着したところにM君がお出迎えです。熊本からと東京からの2人を待つ時間がもったいないので3人でスタート。結局2泊3日で計7軒を回りました。いずこも朝早くから行列ができています。さぬきうどんめぐりは超人気のようです。行った店は谷川米穀店、池上、明、なかむら、おか泉、さか枝、松岡、これ以外にも1泊目に泊まった旅館や2泊目の宴会をした料理屋でも最後にうどんが出ました。

今回よく分かったのですが、「さぬきうどん」はうどんの違いだけではなく食べ方が違うのです。一般にうどんといえば、熱湯でゆでたものを湯を切ってどんぶりに移し、つゆを加え具を載せて食べます。普通であるならば「つゆや具などとのバランス」が重要視されますが、ここさぬきでは主役であるうどんの比重が突出しています。 例えばうどんそのものを味わうためにしょうゆをかけるかあるいは、だし(うどんつゆではない)をかけたりして食べます。極端な食べ方は「たまごごはん」ならぬ「たまごうどん」です。ゆでた熱々のうどんの湯を切ってどんぶりに取り、生卵と醤油をかけてかき混ぜて食べる。シンプルながらこれがうまい!(イチバン気に入りました)(^^)v

この他、いろいろな食べ方がありますが、たったの7軒では極めるのは不可能。一生かかるのでは?(^^;
しかし、安いところでは1杯65円!!!平均で1杯100円。うれしい安さです。これならいくらでも食べられるし、効率よく回れば1日5軒はいけそうです。次回行く機会があればまた違うお店を回ってみたいと思いました。

帰ってからも宅急便で送ったおみやげ用のうどんを毎晩食べていました。さぬきうどんのコシを楽しむなら冷やして食べたほうがいいようです。当分の間、我が家では「さぬきうどんブーム」が続くことでしょう。(笑い)(使うのはうどん用の特別な醤油です。取り寄せ可能)
 2000.3.3 

「語尾上げ言葉」

もう何年も前から、あちこちで耳にする「語尾上げ言葉」は耳障りで不愉快です。若い人が「はやり言葉」を使って仲間内でしゃべるのはいつの時代でも同じでそれは特に気になるようなことでもありませんが、決して美しい日本語ではありません。

気になるのはいい年をした大人が「語尾上げ言葉」を使ってしゃべっている場合です。特に、話しかけられると腹が立ちます。話し方というのはその人の人間性が出てくるものです。

「語尾上げ言葉」というのは会話の中でいちいち相づちを求め、相手との考えの同一性を確認して進めているようで、よほど自分に自信がないか、何か下心があって相手に同意を求めているかというふうにも受け取ることができます。ハッキリ言って気持ちが悪い!

ちゃんとした大人なら自分の言動に責任を持つべきですし、ましてやこういうしゃべり方を仕事先の相手にするというのは全く失礼千万なことで、社会人失格です。いい年した大人が「語尾上げ言葉」を使っている場合は相当レベルの低い人間か、卑しい下心のある人間として相手にしないことにしています。
 1999.6.3 

「クチナシの花」

今日から梅雨に入りました。

梅雨と聞くとそれだけで憂鬱になる人が多いようですが、ぼくの場合「もう梅雨か!」とうれしくなることもあります。それはたまたま学生時代に通っていた大学のキャンパスで梅雨のしとしと降る雨の中で、甘い香りを放ちながら清楚に咲く白い花「クチナシ」の存在を知ったからです。

大学へ向かう最後の歩道橋にさしかかると、レンガ塀の中から甘い香りが漂ってきます。最初はいったいそれが何の香りなのかも知りませんでした。甘く切なく胸を刺激するような香りまるで「悲しい恋」のようです。(その頃、恋をしていたかどうか?はナイショです)(笑い)

それ以来、梅雨が来ると「クチナシの花」が咲く季節が来たんだとうれしくなります。おかげで、ひとが気分が重くなるというほど憂鬱にはならなくなりました。花屋の店先に「クチナシ」の鉢植えが現れるとついつい買いたくなります。

さて、梅雨が終わるとクチナシの花はその美しい白さもやがて色あせて枯れていきます。クチナシの花が終わった頃には青い空に真っ白な入道雲の季節、つまり盛夏を迎えることになります。ぼくにとっては「クチナシの花」は夏の季節の移り変わりを教えてくれる大切な花です。そしてぼくの大好きな花です。


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